我が家では和歌山県の南。ダイバー達がよく利用する「すさみ町」は車で20分程の距離です。「いなか」が「とかい」の反対語としての意味を持つ事を知るより早く、あの土地、あの海の事を「いなか」と呼んでいました。「いなか」は実は父親の生家ですが、私が物心ついた頃には誰も住んでいない状態でした。先週、その「いなか」に行って来ました。
大昔は電車じゃなくて「列車」。ディーゼルエンジンで走っていたJR紀勢線の急行「きのくに」に乗って、家族で行く旅行をいつも楽しみにしていました。鉄道小僧ってわけではないけど、今でも当時の急行停車駅を言えますよ。天王寺を出て、和歌山、海南、箕島、湯浅、御坊、紀伊田辺、白浜。。。そこからは各駅停車に乗り換えです。夏休みには「きのくに」は大阪からの家族連れで満席になります。紀伊半島の海岸線を走る列車なので、トンネルを抜けると、唐突に窓いっぱいに太平洋のオーシャンブルーが広がります。子供たちの歓声。「海やぁ!」(大阪弁ですので 笑)。もちろん、私も歓声を上げていたクチです。
現在、私は車で移動します。年々高速道路が延び、今では大阪から紀伊田辺まで高速道路を降りることなく到着します。所要時間も大幅短縮。道路特定財源、恐るべしですが、紀伊山地をくり貫いて道を付けている為、「海やぁ!」の感動はありません。好きな風景が高速道路が延長される度に減っていきます。通らなくなる道が年々増える為ですが、寂しい気分です。年に1回来るか来ないかぐらいの私が口にすべき事では無いですね。きっと。
今回の「いなか」行きの目的は、古くなったプレハブの状態を見るのとお墓の掃除。私が小学生だった頃に両親が建てたプレハブは、海水浴や墓参りの時に寝泊りする為の物で、非常に簡単に作ってあります。もう「うん10年」。良くもっていますが、近年、床板が頼りなくなってきましたので、家の中の物を少しずつ大阪に引揚げようというイメージです。このプレハブ、電気と水道は引いてますが、その他は何もありません。テレビもない状態。今回は乾電池も忘れたので、ラジオすら聞けませんでした。かろうじて携帯電話はつながりますが、あえて使おうとは思わない。
情報が無いと不安すら感じる現在に、あえて情報を遮断してみる。こんな状況に置かれると不安になるでしょうか?それとも退屈するでしょうか?不思議な物で、どちらも無いんです。昼間は雑草や竹の始末、お墓参り、海まで散歩、気が向いたら魚釣り・・・等を行っていると、すごく自然にお腹が減り、眠くなり、ちょっと本でも読んでみようかと思い・・・それだけです。メールチェックも素早い返信も必要ない。殺人事件報道も円高も株安も、国民の怒りを代弁するニュースキャスターも無い(笑)。
普段「必要だ」って思い込んでる物って、案外要らない物が多いのかも知れません。その証拠に、こんなに何も無いところなのに、来た人は皆「もう少しここにいたい」という感想を持ちます。大学生の頃に友達4人ぐらいで行って、あぶった「めざし」をあてに酒を飲んだのを思い出しながら、あるいは親戚の子が「帰りたくない」なんて言っていたのを思い出しながら、そんな事を考えていました。あ、ただ、トイレだけは不評です。私もできるだけ入りたくない(笑)。
今回は引揚げ準備のつもりで行って来たのですが、結局、床板を補強する材料を買い込んで、もう少し延命させる事にしました。経済的な価値などほとんど無いこの「いなか」。ここに「付加価値を」なんて事を考えるのは大間違いで「何も無い場所を存続させておきたい」と、贅沢な事を考えています。

誰もいない海

子供の頃によく「ベラ釣り」したところ

国道42号線沿いの家の近所の風景

旧国道の端に植えられた桜