の受難の時代と、10年も前に言ったのは、河合隼雄さん(現文化庁長官)です。ここでの「長」はリーダーの事です。誰ですか?「長作」とか「長介」とかを想像した人は(笑)。
皆さんは自分の上役や組織の責任者について、どんなイメージをお持ちでしょうか?非常に強力な権限を持ち、一存で組織の方針を決めてメンバーに対する強制力を発揮できる存在・・・。私もそう思っていたのですが、残念ながら違います。欧米社会(父性社会)におけるリーダーというのは、その通りかも知れませんが、母性社会と言われている日本では、多くの場合「世話役」に過ぎません。
これをもって「だからこの国や組織は何かがおかしい。」と感じる方、もう少しその言葉は待った方がいいです。強力なリーダーシップの発揮には、それに対する権限が後ろ盾としてあります。強力なリーダーシップを求めるメンバーというのは、日本では依存的な発想をする場合が多いようですが、強力なリーダーは、そのような人をメンバーに選ばない権限を持ちます。また、リーダーがそうしたければ自由にメンバーの入れ替えができます。父性社会や父性社会的リーダーの厳しさはハンパではありません。スイスでは幼稚園から小学校に上がるのに落第があるそうです。「やり過ぎだろう???」と思う方は、父性的リーダーを望まない方がいいでしょう。日本には日本に合う組織のあり方があるのかも知れませんね。良し悪しはわかりません。正解は必ずあるなんて思うのも幻想だと思います。
日本のリーダーの仕事は「場の維持」と、組織の方向性を示すバランス感覚を持って目的を達成する事であり、権限が行使できるのは、場の最大公約数の実現時に限られていると言えます。考えてみれば窮屈な物です。中途半端に欧米風「個の倫理」を主張する(割に場に対する望みの多い)メンバーと日本的な「場」の板ばさみに合うわけで、このあたりが「受難」なわけですね。単に世代の問題では無いのです。
私は年齢的にもリーダーであると同時に、あるグループの中ではメンバーでもあります。その私が感じるのは、メンバー側の立場に立った場合の依存心の強力さですね。場や上役に対して「望む事」って驚く程多い物です。ですが、同時にリーダーの立場を経験する私は、どこかで気付いてます。私の上役には、一存でその場を変えるための充分な権限(例えば私を簡単にクビにする権限とか)は、形式上あっても、実質的には与えられていないんです。鍵はメンバーとしての私の「場への関わり方」にあるんですね。場を作っているのは上役ではなく、私を含めたメンバーの発する言葉や無意識の行動です。頭と口先でいくら「個」を主張しても、「場」への「依存」が前提であれば、実は単なる甘えだったという事になるのでしょう。
以上は「働きざかりの心理学」という本の「働きざかりの若者学」という章を読んだ受け売り&私の感想です。特に若い方で、皆さんの周りに可哀想なリーダーがいれば、是非いたわってあげてくださいm(__)m。
なお、私も大好きでよく著作を読ませて頂いていて、また昨年のクリスマスコンサートでは文化庁の「文化力」ロゴを使わせて頂いたのですが、河合隼雄さんは現在、病に倒れて重体と聞きます。ご回復をお祈りします。